文脈
このサイトでは、技術記事のような纏まった外向きの文章を/blog
、それ以外を/context
に分離することにした。Contextと題したことにはそれなりの理由があり、記念すべき第一投稿にてそれを書き記す。
外面的説明
主に以下を取り扱う。
- 日記
- ツイートの発展形
- 文化的な何かへの感想
- 記事までは至らない散文
- 思想
内面的説明
注意: 長い・論理の飛躍・偏った思想
匿名性
一時期私はガチで実名性インターネットを支持していた。伊藤計劃の『ハーモニー』を読んだからという理由もほんの少しだけあるが、一応自分なりに考えてのことだった。当時Twitterを始めたばかりの私は、個人を同定可能な要素が薄すぎて何をしているのかよく分からない(にも関わらず有名な)アカウントを見ては苛立ちを覚えていたのだが、ある時そういったアカウントが特に匿名性を意識しているわけではないことに気づいた。インターネット上ほとんどの個人は、主義・思想・来歴のような自己を証明する情報が欠落しており、大抵は電子の海の藻屑に成り果てる。だが、それは全体を俯瞰して見た時の話で、小規模な《界隈》の中では個人として確立しているのだ。
ここまではいいが、問題はコミュニティの新規参入者(私)にとってそれが酷く暗黙的で理解に時間を要するものだったこと―――半年ROMれの意味を理解した。けれど、現代のインターネットは早速巨大な社会を形成していて、無数のコミュニティに入る度にROMっていたら寿命が尽きる。だから、もっとオープンでアクセス性の高いインターネットを目指すにあたって、参入時点で即座に強固な個人が確立する実名性インターネットこそ真の未来像だと割と本気で思っていたのである。
価値の実体
《インターネットの匿名性》というトピックについて、匿名性そのものはそこまで価値を見出すようなものではないと思う。真の匿名の下、掲示板で行われていたコミュニケーションはSNSに移った。実名で活動することが普通になったことは確かな変化だが、あくまで当人の意志次第であり匿名性は保たれている。だがそれ以上にインターネット上の人格はIconicになった。
現在、インターネット上での発言の多くは一意なアカウントに紐づく。《誰が》発言したかは早速重要なファクターとなり、権威性という匿名性とは相反する概念がインターネットにも持ち込まれた。だが現実と異なるのは、その《誰か》が肉体的個体ではなく、インターネット上での人格に相当することだ。それは母から生まれる肉ではなく、集団が見聞きした言葉でできている。《誰か》が残した散文的な言動の数々を見た人々は、そこから《流れ》を見出し、個人として認知する。最終的には《界隈の有名人》という実体が一切不明な偶像に至る。
肉体で個人を識別できる現実と違って、インターネット上での個人を成り立たせるには多大な労力を伴う。だから、インフルエンサーのような希少存在だけがインターネット上の個人として成り立つと多くの人は考えているわけだが、実は、(規模は小さくとも)意外と簡単に個人としてインターネット上に足跡を残せるということを後に知る。YouTubeのコメント欄1でしかインターネットを知らなかった私は、Twitterに出会った時大きな衝撃を受けた。そこでは多少のコツさえ掴めば簡単に《誰か》になることができる。同じアイコン、同じハンドルネーム、分かりやすいプロフィール、etc…些細でも発信者を同定可能な要素さえあれば、ただ喋り続けるだけで、自然に数十人が《個人》を認知する。
私が言いたいのは、現代における匿名性の本質的な価値は、やり方次第で自由に《個人》を作り出すことができる点にあるのではないかということだ。「なりたい自分になれる!」みたいなVtuber事務所の売り文句を言いたいわけではなく2、いかに簡単に《個人の在り方を決められる》のかという話だ。肉体から解放されている以上、インターネット上の人格が《唯一》である必要はない。複数のアカウントを作り、自身の多面的な特性を仮想的に分割・統合・破棄することも自由だ。そんな適当さがあり、匿名性はそれを実現する要素でしかない。
インターネット上の人格は、肉体が無い分《流れ》がその本質を占めている。それを人生と呼ぶのは仰々しすぎるし、履歴と呼ぶのは《流れ》を好きに演出できるという恣意性を無視している。だから、その物語性を加味して、私は 文脈 (Context) と呼ぶことにした。
同期/非同期
★あなたへのおすすめ★
- 物申し太郎・3時間前
〇〇〇ってツイートしてる人みかけたけど、俺は□□□□だと思うんだよね。
返信32, リツイート12, 引用5, いいね190
インターネットのいいところは記録に残るところだ。まあ、最近になって実は案外簡単に消えてしまうことも分かってきたのだが、それでもPhysicalな会話に比べれば遥かに残りやすい。しかも誰もが参照できる形で残る。だから文脈を辿ることは容易なはずなのだが、インターネットが高度に社会化され、プラットフォームのアルゴリズムがタイムライン3を改変し続ける現代、もはや第三者が特別なフォーマットで記録した文脈以外を知ることは容易でなくなった。
Twitterは文章というとても参照しやすい媒体をベースにしているにも関わらず、簡単にアクセス性を失う。タイムラインを過ぎ去った情報を文脈と抱き合わせて理解するには、膨大なリプライと引用のツリーを把握し、空リプライやスクリーンショット引用のような、追跡が非常に面倒な情報を集めるという長大なサルベージ作業を要する。だからこそTogetterのようなツールが存在するのだろう。時系列性の高いタイムラインというフォーマットと、リアルタイムにアルゴリズムが挿入するサジェストによって、文章という非同期コミュニケーションが同期性を獲得している。
主張
タイムラインの地平へ過ぎ去っていく情報を集めて《個人》の認知を作り上げていく作業は辛い。
だから、各人の《文脈》を可能な限りアクセス性が高く、高凝集な状態で保存しておいてほしい。特に技術者を標榜する人間たちについて、私は技術が好きなので当然技術に関わる人にも興味がある。だから、今こうして私が自分のサイトで記事を書いているように、各位個人ブログやそれに準ずる何かを作ってほしい。なぜ、こんな長文をこしらえてまでそんなことをねだるのかは、正直私も《本能的好奇心》と言う以上に解像度の高い説明を与えられない。一つ確かなことは、各々が思っている以上に人は人に好奇心を(少なくとも私は)抱いているということだ。
つまり、当サイトのContextとは、以上の私の考えを反映し、万人が私の文脈にアクセス可能になることを目指してそれを記録するものである。